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「愚者は経験"のみ"に学び、賢者は歴史に"も"学ぶ」

今回のブログは私生活からの学びをシェア。

 

4日間、胃腸風邪に苦しみようやく回復に向かっている段階。

 

相変わらず、周期的にお腹は下るが...。

 

お茶からジュースから、スポーツドリンクまでありとあらゆる飲料を摂取。 

 

水分をガブガブ飲むけど、その分出てしまうのが胃腸風邪で。まあ、大変。

 

今回、健康を失くして気づいたこと。今まで自分は健康だったんだということに。

 

そういえば、BUMP OF CHICKENの"supernova"という曲にこんな歌詞があったなということを思い出した。

 

熱が出たりすると〜気づくんだ〜僕には身体があるってこと〜

鼻が詰まったりすると〜分かるんだ〜 今まで呼吸をしていたこと〜

 

ああ、そういうことですか、藤原さん。納得です...。

 

失くしてからしか気づけないとは自分(人間)は愚かだなあ、と。

 

当たり前にあるからこそ、当たり前に思ってしまう。

 

これは論理的に筋が通っていることなのかもしれない。

 

希少価値の低いものは、値段も安いし、軽視しちゃう。珍しくないものは価値があると思われない。

 

今はまだ髪がふさふさとあるから髪があることの有り難みなんて感じない。

 

でも、ハゲたらおそらく髪があった頃を思い出して懐かしく思ったりするんだろう。

 

毛を失くすみたいに、この世の中、失くしてからでは遅いものもある気がする。自分の経験を通して学んで、気づいてちゃ遅いものもあるような。

 

そして、高校の時の世界史の先生が言っていたことをふと思い出した。

 

かの有名な初代ドイツ帝国宰相オット―・ビスマルクの言葉。

 

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。               

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イマイチ響いていなかった愚者な自分。 

 

「いやいや、そうは言ってもビスマルクさん。やっぱり、自分の経験で学んだことこそ自分の人生に活きるんじゃないですか?」と。

 

でも、この言葉に隠された意味がブログを書きながら見えた気がした。

 

言い換えると、こういうことになるのでは。あくまで予想。

 

「愚者は経験"のみ"に学び、賢者は歴史に"も"学ぶ」。

 

歴史(つまり、自分以外の他者が紡いできたもの)は他者という言葉に置き換えていい気がする。

 

近所のおっちゃんがハゲたら、それを自分事のように捉える。そして、ハゲの予防線を張る。シャンプーの時、毛根まできっちり汚れを落とす。ハゲはハゲてからでは遅い。

 

ビスマルクさん、庶民的に例えるとこういうことですよね?

 

気づいたら胃腸風邪からビスマルクまでの話になっていた(笑)。

 

Life is jouney.

 

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